Lost Girl
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1225イベント、「you couldn’t find your hand」を「手をすり抜けてもう見つからなかった」と訳したのカス翻訳すぎる。
「正しさが存在しない」のと「間違いが存在しない」のは似て非なるものだよな。
二次創作に正しさなんて存在しないという主張から「よって二次創作には間違いはなく、何をやってもいい」に結論づけている人を見て思った。shrewdだねぇ~。実に狡賢い修辞です。
公式を白、二次創作を黒の状態にすることでグラデーションを除去し、キャラ崩壊とかを正当化する理由になるわけだ。こうすると「この二次創作はおかしい」という主張を無効化できるので、被る不快をすべて100%鑑賞者側の自己責任に出来る。
……首だけのアルル・ナジャに追い回されたことはありますか?
公式の絶対視って一見真摯に見えて一番冒涜的な価値観なのではないかとさえ思う。というか何度か話したが「公式」という名詞自体がスウィーピングすぎるのが一番の問題なんですが。
「公式が解釈違い」という言葉がよく馬鹿にされるけど、なぜ公式が聖典になりうるかと言えば、「その作品を生み出した張本人だから」以外にないと思うんですよね。逆に言えば、それ以外の理由があってはならない。
でも長寿作品なら作品に関わるスタッフはどんどん入れ替わっていくし、その過程でシナリオライターが抜け、グラフィッカーが抜け、チーフディレクターが抜け、としていって、最終的に発足当時のスタッフが一人も残っていないという状況になったなら、それは何を以てして「聖典」足りうるんだろうか?もうその作品の生みの親が当初描いた世界は誰も知らない。まったくの他人がその世界を引き継いでキャラクターという人形を”自己解釈”で操り続けるしかない。もちろんライターが退社前に未公開の資料集とか残していったらそれを参考にできるけど、そういうのもなしに消えてしまった場合、じゃあ公式と二次創作の境目ってなんなんだっていう。キャラクターの生みの親でも世界の生みの親でもない人間たちが、「公式」という看板を背負って動かし続けてるだけじゃないか。公式とは、聖典とは、いったいどこに宿るのか。
例えばAというキャラクターの公式での発言がファンにとって”解釈違い”を起こし、「Aはこんなこと言わない!」と叫んだとする。いやいや、公式が言わせてんだから言うに決まってんじゃん、と言いそうになるが、もしかすると「そのキャラクターの生みの親」であり設定を考えた退社済のデザイナーは「オレもそう思う。このキャラはこんなこと言わない」と同調しているかも知れない。だとしたら一体どちらが正しいのか?僕の解釈では、こういうケースは「公式」と「聖典」が分割される。
つまり、その作品の営業権や版権その他諸々を保有しているのは間違いなく「公式(制作会社)」であり、そこを通して表現されたすべてのキャラクターの性質は間違いなく「公式設定」である。たとえ生みの親が別人だとしても、その人がすでに退社済ならもう制作に関わっていない以上何を喚こうが「公式」にはなり得ない。一方で、そのキャラクターを設計した張本人が構想しているキャラクター像こそが真実だという見方もでき、この時そのデザイナーの発言は「聖典」となりうる。
そうやって始まったんだよ-たまに忘れるほど強い理由
ハンドレッドラインなんかは良い見本ですよね。あれを100ルートプレイした後に全キャラクターの性格がルートごとに一貫していると言える奴がいるなら連れてきて欲しい。
そもそも二次創作を定義づけようとする試みのすべてに欺瞞を感じる。人の欲望や情念を全て規律で決めようとする者は人の思考をまさにその対象へと扇動しているのだ……。
おそらくはじめて鬼滅について語ろうか。
と思って検索したら全然初めてじゃなかった。
わけても今でも一番思ってるのはこれ。
キャラクターがどいつもこいつも口が悪過ぎる。無一郎と壺の口論とか実質オーシャンまなぶじゃねぇか。カナヲにしてもそうだけど、意志をぶつけ合うとかじゃなくて、ただの人格否定が多いんすよね。見ててちょっとキツイ。誰も彼も悪意がすごい。
f
大衆受けしていいような作品じゃないと思う。不健全です、あの作品。
もちろんジャンプ漫画は口論とか口撃のシーンっていうのは多くあるものだけど、鬼滅のそれは語彙の選択が露悪的すぎるし人身攻撃的すぎる。しかも理由に依らない人身攻撃が多い。
たとえば、同じジャンプ漫画のハンターハンターでイルミがキルアを口撃するときはこういう言い方をする。
「勝ち目のない敵とは戦うな」オレが口をすっぱくして教えたよね?
お前は熱をもたない闇人形だ
自身はなにも欲しがらず何も望まない
対して鬼滅のキャラクターの口撃って、こうです。
もういいわよ不細工
醜い人間に生きてる価値無いんだから
貴方には、嬉しいことも、楽しいことも、苦しいことも、つらいことも、本当は空っぽで何もないのに 滑稽だね 馬鹿みたい ふふっ 貴方何のために生まれてきたの?
俺がカスならアンタはクズだ
なんJのレスだろ。なんか、意志を示すとか信念のぶつかり合いとかじゃない、あまりにもただの低俗な煽りが多すぎる。修辞が下劣。ベクターのがまだ理知的だぞ。
「お前は存在してはいけない生き物だ」の時もリアタイでちょっと話題になってたけど、この作品って「憎しみ」の描写の手段が一面的すぎるんですよね。前提として復讐全肯定漫画だし。一部のサブプロットを除いて スカッとJAPAN in 大正 くらいの深みしかない。
まぁ、そのスカッとJAPAN in 大正というロールをやりきったという視点では良かったのかもしれませんが。内容はともかく連載作品としてのブレは比較的少ない漫画ですから。
なにより産屋敷というキャラクターがこの異常者の集まりの象徴として完璧。無惨を「ちょっと弱らせる」ためだけに同意も得ずに妻と子供ごと爆殺。こもごもの描写を見ていても、筆者は鬼殺隊の異常性を十分自覚した上で描いているように見えるのだけど、鬼殺隊側の登場人物が徹底してその異常性を認めないし自らの正義を疑う描写がないのでイマイチテーマ性がなく、やはりスカッとJAPANに帰結してしまう。
憎しみの連鎖や復讐を描く作品って、ほとんどの場合、主人公側の立場に「内側から疑問を唱える」キャラクターがいるもんなんです。進撃ならジャンとか。あるいは主人公側がすでにその欺瞞を理解している、これは『忍者と極道』とか。
[!quote]
いろいろあったんじゃろね 同情はする けど 容赦はせん
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「もっとつらい人生でもまっとうに生きる人はいる」
…なんて言う気は更々ねェーよ
そんなのは運が良かった奴の戯言だ
捻じ曲がんねーだけの何かと巡り逢えた
そんな……運が良かった奴の戯言だてめーらのことは理解する
……理解するがよォ~~~~……それでもオレは てめーらをブッ殺さなきゃなんねーのさ
鬼滅にはこのいずれの態度も無い。だから得られる快楽が物語というよりHowToBasicの破壊動画を見ているようなプリミティヴすぎるドーパミンなのです。アニメの感想も「作画SUGEEE」ばっかでしょ。いないいないばあで喜ぶ赤ちゃんかい。
まぁ実際にはもう少し色々(とくに無惨周り)あるんだけど、なんかねぇ……。最終回発情期も含めてどこまでも浅いという印象でした。
これは6年前くらいに一回全話読んでの感想で、それ以降は特に読み返していないので、今見ると変わるのかもしれないが。
キャラとしては無惨と産屋敷がツートップで好きで後はほぼ全員奈落。まぁ次点で伊之助かなぁ。
5時間ピアノを弾いて4時間ゲーム制作をしました。リングフィットもした。おわり。
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